蚯蚓φ ★ 2018/12/06(木) 14:15:40.58




この前国会で「人が質問しているのに、何度も野次を言うな」という発言が問題になって記事化されたことがあった。野次は日本の言葉で、日本語を公式の席上で堂々と使ったということだ。こうしたことは放送でも一度や二度ではない。我が国の放送で日本語を使うことは一種の「タブー」になっているからだ。

筆者はかなり前からこの様な現象がいつも理解し難かった。いや、私たちがいつも英語など外来語をしばしば使うのに、他国の言葉は良くて日本語はだめとは。その理由は何かということだ。筆者も個人的にSNSをしていて日本語で大変な苦労をしたことがある。

若い頃、両親がビリヤードをしたが、ビリヤード場の主人が一番嫌うのが雨が降る日に酒を飲んでマッセをする人だとツイートした。直ちに非難調のコメントがついた。なぜ日本の言葉を使うのかという。そのままほっておけば良かったが、私は先と同じ論理で反論し、二日がかりのもめごとに苦しめられた。いつ終わるとはしれないうっとうしい攻防が続いたが、突然、第三者が割り込んできて状況はあっさり終わった。「マッセは日本語ではなくフランス語です。」笑えない話だ。

私たちはなぜ日本語をフランス話のように堂々と外国語扱いできないのか。理由は明らかだ。日帝強制支配期を体験し韓国語の中に日本語が知らず知らず入り込んでいるということだ。だからなにげなく日本言葉を使うのは私たちがまだ日帝強制支配期を抜け出せていないという意味になるわけだ。

これは正しい言葉だろうか。かえってその反対ではないか。日本語をありのまま外国語と認識して使う時、はじめて植民時代を克服するのではないか。

ソウル大学に日本文学科がないことも同じ論理で説明できる。この頃、英語の次に多く使う外国語が中国語と日本語なのに、大韓民国の代表大学である国立ソウル大学に日本文学科がないということは、私たちがまだ植民時代の沈殿物から抜け出せていないという事だ。

ある者は日本が本当に植民支配について謝らないため、私たちの沈殿物が解けないというだろう。そしてドイツは侵略戦争とユダヤ人虐殺について本当に謝罪したので被害当事国の沈殿物が解けた、というだろう。ところがドイツは謝って日本は謝らなかった理由を正面から直に覗き見る必要がある。

謝罪は自分が不十分だったり相手が恐ろしい時するものだ。ドイツはユダヤ人が実質的にコントロールしている米国が恐ろしい。しかし、日本は韓国がそれだけ恐ろしいはずがない、といっても過言ではないではないか。換言すれば真の謝罪を受けようとするなら、私たちが強くなるしかない。

最近、中国と日本の関係を見れば日本の態度が過去と大きく変わったことを感じる。そして私たちはいつ、ベトナムに本当に謝罪をしたことがあるのか。ベトナムがもし恐ろしければ私たちもすでに謝罪しただろうと考える。そのような意味でベトナムは私たちより賢明で成熟しているようだ。米国と私たちに謝罪を要求したり望むこともない。代わりに柔軟な姿勢で自国の利益を追求する。

およそどの国でも隣国と良好な関係を持つことが国益に役立つ。私たちの様に世界4大強国が周辺を囲んでいる場合はより一層そうだ。しかも今、中国が一帯一路を推進して大国崛起を夢見ている状況は、私たちに途方もない恐怖として迫る。その様な時、伝統的な韓・米・日同盟関係の維持ないし発展は私たちの国益を守るのに大きな力になっている。そのような渦中に日本とずっとふらついて対立するのは私たちの国益に全く役に立たない。

もちろん、ここには日本の相互尊重する態度が前提にならなければならなくない。今、私たちには反日でなく克日が必要な時だ。結論的に解放後73年になれば、もう私たちも日本語を外国語と認識する時になったようだ。日本語を使うと目をしかめるのは日本コンプレックスから抜け出すことができなかったようで自尊心が傷つけられる。

チョン・ドゥオン元国会議員

ソース:時事in(韓国語) [時論]日本コンプレックス
http://www.sisapress.com/journal/article/178933


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1544073340/